パパの独り言 (我が家とミニ四駆)

 


我が家にミニ四駆がやってきたのは96年でした、私が仕事で東京に行った時に、子供達のお土産に買ってきた物が始めです

その頃はミニ四駆のアニメ番組を熱心に見ていました。

(この時点ではまだ日本のTV番組が自由に貸しビデオ屋で借りられました)

97年の二月にシリコンバレー地区で初めてのレースがあり、小雨の中日本人の子供達を中心に300人近い参加者がありました、

始めてのレースは惨敗でしたが、以後は子供達も夢中になってセッティングをしたりして、しだいに各地のレースで好成績を収める

ようになりました。

(その頃ちょうど我が家では家庭内不和から女房が家出中で、親子3人でミニ四駆をする事で難しい時期の子供達とのコミュニケーションに多いに役立ちました、

特に初めてWilliamが優勝した第1回ミカドカップは思い出深いものがあります)

さて当初はそんな活気の有る状況だった北カリフォルニアのミニ四駆ですが、最初の転機がおとずれたのは98年4月です、

それまでは貸しビデオ屋で借りられた日本のアニメ番組が「放番協」なる団体の圧力により借りられなくなりました、

この時、借りられなくなったのは、レッツゴーの他ドラゴンボール、クレヨンシンチャンなど、子供達に人気の番組ばかりでした

それいらい、特定のTV局の番組はリアルタイムで見ることはできなくなりました。

著作権の問題があることは理解していますが、こちらの子供達にとって、日本のアニメ番組を見られると言うことは

日本語教育という一点をとっても、大きな教育的な効果があったと思います、それを大人の番組と同一にすべて

規制した、「放番協」なる圧力団体のやり方は、どうかと思います。

(その後日本の番組はビデオが発売されたものは全て見られるようになりました、「放番協」はこれも規制したいようですが

米国の法律ではTV番組や映画はビデオ発売後であれば、自由に貸し出しが出来ますから・・・)

TV番組が見られない事から日系の子供達の間で急速にミニ四駆離れが始まります。

それでも98年はそこそこ盛りあがってはいたのですが、99年に入ると日系でミニ四駆をしている子供はほとんど

存在しなくなります。

そんな状況下で今年4月のレースを最後に正式なタミヤルールでのレースは近郊では行われなくなりました。

レースが無ければ我が家の子供達もミニ四駆から遠のいて行きます。

(それにそろそろテ-ンエージャーの仲間入りをする歳頃で興味の対象もミニ四駆のような玩具から、ラップのCDや女の子に代わり始めた頃なのです)

そんなわけで去年はまだジャパンカップに出たいと張切っていましたが、今年の夏はもう全然興味も示さなくなっていました。

残念ながら、ここで我が家ではミニ四駆から引退宣言をすることにしました。

ミニ四駆を通じて私も子供達もたくさんの友人が出来ました、また楽しい思い出を作ることができました。

ミニ四駆のページは、今後更新しませんが、記念にこのまま残しておきます。

皆様 ご声援、どうもありがとうございました。

 

1999年 夏

PS.大量に買い込んだコースやパーツ類はしばらく倉庫に眠らせる事にしました。